1人でできる趣味を探していたときに、この本に出会った。
作者の意図こそわからないが、この本で学べることがあったのでまとめておきたい。
孤独とは何か?
孤独に対する考えは人それぞれ異なると思うが、ひとつだけ言えることは、誰にでも孤独になり得るということだ。
友人や家族といる時ですら成立する。結局、人間は独りなのだということを感じない人間はいないだろう。
それはなぜか。人間そして社会というのは他者との比較で成り立っているからだ。他者との比較で自分という存在を認識する。
クリスマスの日に、1人でとぼとぼと歩いている自分が、楽しそうに手を繋いで歩くカップルを見る。そうすることで、他者との比較で現時点での比較で劣等感や疎外感を感じてしまうわけだ。
この本の提言〜他者との比較で自分の人生を見たら、ポジティブにそのポジションから逃げよう〜
この本では、クリスマスでひとりさみしい思いをするくらいなら、その自分の立ち位置に対して、言い訳をすることなく、ポジティブに1人でいることを楽しもうという提言をしている。
具体的にどういうことをすればいいかというと、クリスマスの日に、クリスマスのない国に旅行に行けばいい。そして、筆者はオマーンに旅行に行くのだ。オマーンはイスラム教の国であり、キリスト教の文化を取り入れていないから。
そして、筆者はオマーン旅行で色々な人出会い、楽しんでいた。そんなことを本当にそんなことをやってしまうという行動力に感服し、他者との関わり合いの中で彼の人間性の良さも垣間見えた。
彼がやったことは、全力でその他者との比較を強制されてしまう状況から逃げ、自分の人生を生きるという提言である。
他人の目を気にして生きることが間違い?
この本はそんな感じに、生活をしていたら遭遇してしまう様々な孤独の状況を全力で楽しむというような内容を具体例を踏まえて説明してくれている。
私は、そんな著者から、「他人の目を気にして生きること自体が間違いである。自分の人生を生きよう!」という強烈なメッセージを感じた。
しかし、それと同時に「結局、他人の目を気にして生きることでしかポジティブに生きることができない」という裏メッセージも感じた。
それはどういうことか。考察していきたい。
結局、他人の目からは逃れられない
そもそも、この著書の発端は、「他者との比較によって孤独を感じてしまう」ことが前提なのだ。
他者と比較してしまう。→孤独を感じる。→孤独を感じるのが嫌だから、自分が行動することで自分の人生を生きる。
という構図なのだが、その帰着点である。「自分の人生を生きる」ということ自体が、他者との比較で生まれた産物なのである。
つまり、他者との比較なしには孤独を感じることができなかったし、孤独を感じなくては、そのような行動力が生まれないのである。
そして、一見「自分の人生を生きている」ように見えて、それは「他の人間より俺は孤独を享受しているぜ!すごいだろ!」という他者との比較による優越感によって成り立っているということを無意識下にでも感じているわけだ。
まちめると、ひとりぼっちを突き詰めるとはつまり、他者との比較を徹底的に行うということなのだ。
何よりもポジティブさが大事
私が言いたいことは、「結局、筆者も他者との比較から逃れられていないよね」ということではなく、「ポジティブに行動していることが素晴らしい」ということだ。
最終的に、筆者は他者との比較により、競争に勝ち、自分が優れているのだという証明をすることができたのだ。
異性と手を繋いで歩かなくとも、この世には素晴らしいことがたくさんある。その素晴らしいことを体験するために、ポジティブさと行動力は必須なのだと伝えたかったのではないかと考える。
この世は比較世界
私もまた、1人でできる趣味を持ちたいという欲求は、他者との比較から離れたいというものから生じている。
しかし、おそらくそれを到達することはできないのだということに気づけた。それでもなお、そのような動機から生まれる行動、そして結果は、自分の人生にとって意味のあるものになると実感してくれたこの本に感謝を伝えたい。